終焉とはじまり
前回書いた、1998年5月の千葉ルート14でのライブの数日後のミーティングん時に、
「オレ、breed抜けるわ」って言った。2人しかいないのにそれは=解散なんじゃないかと
思うけど、自分が勝手に解散を決めるのはイヤだったんだ。もしかしたら後任のボーカルを
渉は探すかもしれないし、ってゆー可能性も考えたから。
でも結局、口火を切ったのはオレからだったけど「じゃあ解散だね」って話になったんだと思う。
渉にしてみれば一方的な話でとてもがっかりしただろう。
因果応報とはよく言ったモノで、かつて自分がされた(言われた)事を、今度は自分がソレを
する側になるんだからなんとも皮肉な話だよね。ま、恋愛も音楽もきっといくつになっても
大して変わらない、同じような事の繰り返しなんだろうけど・・・・・
で、その後は友人のクレイジーギター氏にコードをつけてもらう形で、
どんどんプロトタイプ的な曲をたくさん作っては録音して量産していった。
そんな感じでまたメン募コーナーを見たりして何人かと会ったりしたんだけど、みんな
異口同音に言っていたのが、「え?ギター、コードも押さえられないんですか?」ってセリフ。
これじゃあダメだってんで、ようやく購入した、どんなギターなんだかわかりもしないのに
とりあえずルックスのみで決めたのがコイツ

グレッチのduo jetってヤツ。これを最初の1年位は眺めてw少しずつ
クレイジーギター氏にコードの押さえ方とかを教わって、人の曲を弾けるようになるより自分だけで
オリジナル曲を作れるようになる為に、指の形を覚えていった。
幸いよく言われるFでつまずくってのはなかった。Fが出来れば平行移動でGもAもBなんならCも
できるってんで、今度はその平行移動を軸にした曲を量産していった。
量産した曲を弾くのが練習のつもりでいた。
でもある日、このギターは何度も1弦を切ってしまってそれがストレスになっていたり、
どちらかというと激しい曲よりアコギが鳴ってるゆったりとした曲が好きになっていたので、
コイツを売っぱらってヤイリのアコースティックギターに買い替えた。それが2001年頃かな。
そのアコギでもたくさん録ったけど、結局ライブもできないまま2003年いっぱいでやめちゃった。
あ、その前に。2002年ごろからはそのアコギで作った曲をex-breedの渉にシンセを、
クレイジーギター氏に歪みを入れてもらって、自分はアコギのコードストロークを入れて
何曲か録ったな。あれは楽しかった。やっと自分も音楽にたずさわれるようになった気がしていた。
とりあえずここで終わりです。〇〇先生の次回作にご期待下さい!
http://www.myspace.com/nrtmzk